雑誌『GORO』で時代のヒロインとなった山口百恵氏らを撮り、
この写真集はずいぶん前から、篠山紀信氏の写真集の中では『
『家』とは、どんな写真集なのでしょう。
サブタイトルに「The Meaning of the House」とあり、「家」

評論家多木浩二氏によってあらわされた優れたテキストは翌年『
京都市上京区の古民家
赤坂の迎賓館

大阪豊中市のアパートメント
さて篠山紀信氏による「写真」です。北海道や岩手遠野にある日本の古民家から、
北海道から沖縄まで、日本列島約80カ所にのぼる家の記録は、
写真集『家』の制作背景について、中平卓馬氏との共著『
その章の扉には次の様に記されています。
「ぼくは、
篠山紀信氏の生家・北新宿にある円照寺
同時に4歳の時に1年弱疎開した埼玉の秩父にも30年余ぶりに母
つまり懐かしさとか個人的な思い入れはあるものの、「写真」
そう篠山氏は語ります。
山形県山形市の民家
横尾忠則氏のかつての住居(世田谷区水上)
「私的」
写真集『家』で写された北海道から沖縄まで約80軒の家は、篠山紀信氏の人生とはかかわりあうこともない、
生家の円照寺の撮影は、
左の写真は、 『写真決闘論』の中い掲載された篠山紀信氏の生家・円照寺境内の写真。中央に篠山家の卒塔婆がみえる。
少年時代、雪が積もった日に、その卒塔婆をスキー板代わりにして遊んだといいます。
境内のこの卒塔婆すらも、写真のなかでは一つの「事物」でしかない。
その一方、すべての『家』の写真に共通するのは、
京都府上京区の古民家
「写真は私的なものを表現しない」とはいったものの、少年時代から無意識のうちに絶え間なく感受されてきた光の感度は極めて「私的」であったのではないでしょうか。その光と陰影こそ、日本の風土から生まれたものです。
写真集『晴れた日』(当店、在庫有り・サイン入り)
同年に出版された写真集『晴れた日』
高輪 郷ひろみ邸(1)
高輪 郷ひろみ邸(2)
初期写真集『オレレ、オララ』(1971年)で、
『オレレ、オララ』で「写真」をつかんだからこそ、

「家の中にある諸々の事物のもつ線や輪郭、そのマッスの明確さ、
人間の視線や価値基準では見えなかった事物の関係が、写真を”
それが「
<閉塞的な自己充足的な美学>
そして巨大な目をもった修羅車は時代をも巻き込んでいきました。

「週刊朝日」 篠山紀信氏撮影 1979年
映画『ファニー・フェイス』(オードリー・ヘップバーン氏主演)
基底路線に添った美ではなく、
アートコンシェルジュ 加藤正樹
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