2014年7月18日

ヴィンテージ:時を超える写真集『鎌鼬』の魅力。舞踏のルーツ東北。舞踏家・土方巽の側から


今回は日本のヴィンテージ写真集の中でも、時を経てひときわ輝きを放つ写真集『鎌鼬』をご紹介致します

海外でも人気が高い写真集『鎌鼬』 イメージは、Aprture限定版(英語版)


写真集『鎌鼬』は、「稀代の」3者、舞踏家・土方巽氏と写真家・細江英公氏、そしてグラフィックデザイナー・田中一光氏による、三位一体の濃密なコラボレーションによって成り、それが青色の観音開き仕様で構成された、あまりに見事なアートブック的写真集です。



 写真集『鎌鼬』

鎌鼬:つむじ風の如くに突如現れ、人を切りつけるという怪異現象


『鎌鼬』は、細江英公氏のスタンスからはよく語られますので、今回は写真の中の主人公であり、被写体となった舞踏家・土方巽氏に焦点をあててみましょう。

         

写真集『鎌鼬』より




この写真集で、土方巽氏が疾走し、子供たちや農村の人々、無垢な花嫁と戯れている土地は、土方氏自身の故郷秋田の地であることは大きな意味をもちます(撮影は東京巣鴨、目黒の路上でも一部撮られています。目黒は土方巽主宰の「アスベスト館」があった地です)。
写真集『鎌鼬』より


土方巽氏は、この写真集の撮影で、14年ぶりの帰郷をはたしています。実際には望郷への思いが強すぎ、真逆にも帰郷ができずにいたといいます。

東北秋田は、土方巽氏のすべてが準備された場所でした。
 

土方巽氏は少年時代、地元秋田の舞踊家・石井漠氏のダンを見て開眼しています。石井漠氏は「日本のモダン・ダンス」の第一人者。立ち上がったばかりの宝塚歌劇団を指導しているダンサーでもありました。

大野一雄氏 


ちなみにもう一人の大舞踏家・大野一雄氏も同じように石井漠氏のダンスを見て弟子入りしているほどの先駆者です。とにかく秋田は「舞踏」が盛んな土地だったのです。

「いつから舞踏をはじめたか?」とかつて問われた際、土方氏は、「石井漠氏のダンスを見るはるか以前、子供の頃に気がついた時にはもう舞踏のようなダンスのようなことをはじめていた」と語っています。

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従兄は、「大きくなったら舞踏家になるのだ!」と小学5年の時に語ってうた土方巽氏を覚えているといいます。「三つ児の魂、百まで」とは土方巽氏の身体の奥深くに焼きついた言葉というので、秋田の地は舞踏を育むには最適の環境だったのでしょう。


写真集『鎌鼬』より


この「舞踏」の故郷秋田から、「暗黒舞踏」を生み出し、1960年代「舞踏神」と言われる土方巽氏が生まれ出るのです。
 

土方巽氏自身、亡くなる前に(1986年死去)、「東北歌舞伎画1~4」を連続上演し、故郷への思いをかたちにしています。

今日でも秋田では土方巽氏にオマージュを捧げた舞踏公演が催されている



 
ここで少しだけ、土方巽氏の家族環境を紹介しますと、生家は半農の「蕎麦屋」で、先祖は越後から来た上杉謙信の家臣で、秋田郡山に落人として名を隠し代々続いた家柄だったといいます。

父の米山隆蔵は、息子の土方巽(本名は米山九日生ーヨネヤマクニオ)と似て、破天荒な性格で、酒飲み、謡曲と義太夫をよくした美男子、日露戦争時のあの203高地の戦いで勲章を得るほどの偉丈夫でした。
    
写真集『鎌鼬』より



ちなみに土方巽氏の姓の「土方」は、新撰組の「土方歳三」氏のアヴァンギャルド性に惹かれて自ら名乗ったもので、時に土方ジュネと名乗り、最終的に「土方巽」と名乗るようになります。

太平洋戦争中には、群馬の中島飛行場で働き、戦後は秋田製鋼で働きながら友人たちと一緒に踊りを続けていました。農村演芸の人たちと秋田郊外を1年間公演して回わり、21歳のとき初上京。
 

その時に衝撃を受けたのが、大野一雄氏の鮮烈な舞踊公演でした。その3年後に再上京した後は、一度も帰郷していません。そしてこの写真集『鎌鼬』の撮影で、14年ぶりに故郷の景色にまみえるのです。


「土方巽と日本人ー肉体の叛乱」ポスター

 
秋田の地は土方巽氏の身体を迎えいれ、細江英公氏の写真観によって、永遠の「記憶の舞台」としての<日本の原風景>が出現したのでした。
 


そして2年後の1968年に発表され日本を震撼とさせた舞踏公演「土方巽と日本人ー肉体の叛乱」(日本青年館)につながっていきます。


写真集『鎌鼬』は、「記憶」を「記録」しようと目論んでいた細江英公氏の写真観と一致したといえます。細江英公氏自身、東京葛飾で育つも、生地は山形で、少年期に戦争中に東北に疎開した験があり、細江氏にとっても東北は「記憶」の地でもあったのです。





細江英公 写真展「土方巽と日本人」ポスター 


細江英公氏の写真観は、「球体二元論」と言われているもので、「自己表現=self-expression=鏡」と「探求・調査=exploration=窓」、つまりは「主観」と「客観」の二極が自由に動めく方法です。


被写体となった、土方巽氏もまた、「自己表現」と「探求」の二極の間を深く目指し、また自由に動きつづけた舞踏者で、写真集『鎌鼬』を極めて幸運な、「宿命的写真集」にしたといえます。

■当店の『鎌鼬』の在庫状況(価格は2号館アートフロアにお問い合わせ下さい)

  ・初版1969年刊 限定1000部 - 当店在庫1冊売り切れの場合はご容赦下さい)
  ・完全復刻版 2005年刊 青幻社 500部限定 - 当店在庫1冊売り切れの場合はご容赦下さい)
  ・Aprture限定版(英語版)青幻社版 2005年刊 共に絶版 - 当店在庫無し
   ・Aprture普及版(英語版) 2009年刊 絶版 - 当店在庫1冊売り切れの場合はご容赦下さい)
   ・日本語普及版 2009年刊 青幻社 絶版 - 当店在庫切れ





アートコンシェルジュ加藤正樹


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